今年の新入生は三人。
しかも同じクラスの三人組だそうだ。
とても美人な子と、凄く背の高い子、それともう一人。
第一印象はそんなものだった。
もちろん、その最後の一人が最後の一人がキズナ。
特徴的と言えば、右頬から首筋に広がる■■の痕。
キズナはとても地味な子で、三人組以外の他の部員と会話をする機会も少ない。
夏の暑い日でも長袖のブラウスを着て、うっすらと汗をかきながら、一心不乱にモチーフのデッサンをしていた。
その姿にどこか異質な匂いを感じ、後ろ指を指す部員も少なくなかった。
正直、画力の上達の程は芳しくない。
センスで言えば三人組の中の美人の子が、タッチの素直さで言えば長身の子の方が光るものがある。
唯一、キズナの長所は熱心なことだ。
言い換えれば、熱狂的かもしれない。
愚直なほどに、ただひたすらまっすぐ。
斬りつけるように鉛筆を紙面に振り下ろしていく。
何百回
何千回
イーゼルに向かうその表情には、僕でさえ戦慄を覚えた事もある。
まるでナイフか何かで獲物を切り裂く殺人鬼の様に見えたのだ。
もっと肩の力を抜ける様に、たくさんのアドバイスをしたこともある。
ガッタメラータ将軍、アポロン、ブルータス、アリアス、影の温度と質感、柔らかい線と固い線、男の肉と女の肉。
ほとんどは獅子先生の先任で、産休に入った一子先生の受け売りだったけれど。
この手の指導は、獅子先生が裸婦デッサンを期待して、一子先生の後任で美術部の顧問になったその日から絶える事なく僕の仕事だった。
中学はおろか、学校で裸婦デッサンなんてあるわけはないのに。
もちろん、キズナは冗談を交えて会話をすれば、年頃の女子の様に、はにかみながら返してくる。
籠絡するのは簡単だった。
好奇心を通り越した、若い獣欲の旺盛なこの年頃だ。
少し気のあるそぶりを見せ、少し肌に触れる。
それだけで、私の毒は「キズナの想い人」の髄まで侵した。
密会の場は、文化部棟の教材室。
山の斜面に寄り添うように建てられたこの建物は、入り口が普通の建物で言えば四階部分にあたり、入口階より下に三層、上に一層のフロアがある全五層。
その中の最下層、日の光も満足に届かぬ薄暗い、教材室とは名ばかりの倉庫。
そこが、幾度となく男達との逢瀬を交わした秘密の花園。
手紙と甘い言葉で誘い、可憐なふりをして花に寄せ付け、毒針で髄を侵す。
それが私の手段。
彼氏を寝取ってやった上級生に言われた事がある。
魔 女 め
あはは、
だからどうした。
魔女の毒にすら勝てぬ、苦い汁しかひり出せない徒花が。
毒はたった三日で回った。
一日目は拒絶された。
頬を染めて目を逸らしたり、思わせ振りな言葉を紡ぐ。
たわいの無い会話。
しかし、彼の目は大きく開けたブラウスの胸元と、時おり意味ありげにたくし上げたスカートから伸びる脚に釘付けだった。
二日目は、首に腕をからめてしなだれかかり、喉元を唇で愛撫し、キツく首筋に口付ける。
紅く跡が残るほどに吸い、魔女の烙印を押す。
彼は両の手を私の腰と肩に伸ばしてきたが、するりと逃げる。
「続きは明日」
耳元に熱っぽく囁く。
彼はただ愚者の様に、口を半開きにしてうなづくだけだった。
三日目。
彼の方が先にその場所にいた。
はち切れんばかりの欲望を抑えきれずに。
そのギラギラした視線を浴びせられるだけで、私の中の暗い欲望が歓喜の声を上げる。
モチーフ台に足を組んで腰掛け、私は「いいよ」と囁いただけ。
彼は床に這いつくばり、ご丁寧に私の靴と靴下を脱がし、私の足に口づけ、そして私の全身を犯した。
押し倒された時に台の上に積み上げられたモチーフが崩れ落ちる。
ガラスの瓶は床に転がってヒビが入り、熟して腐りかけた果実はいびつに潰れ、甘くて臭い汁を滲み出させた。
宴はいつまでも続いた。
すり切れるまで、枯れ果てるまで。
気が狂うほどに若い獣欲のほとばしる様を、さぞかしドアの隙間から見ていた観客も喜んでくれただろう…
行為の最中、何度も目があったはずだ
両手に握ったカッターナイフで切り裂く。
狂った様に
何百回
何千回
白く濁った目玉はとうに引きちぎり、踏みつぶし
染みとなって地面に同化した
「そいつ」は、最初の数十分は、切り裂くたびにずっと
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
と叫び、命乞いをしていたが、
ものの一時間と断たないうちに体中の穴という穴から血を吹き出し、汚物まみれになって気絶した
これで二人。
残るはただ一人
最愛にして
最も忌々しいあなた
■◆■◆■◆■◆■◆■◆■【違う星の下で】■◆■◆■◆■◆■◆■◆■
私は呪われている。
…この島の20日間の呪いの事じゃない。
私は生まれつき呪われているのだ。
頭に響く声
言う事をきかない手足
意識は明確なのに、体は頭の中の「声」に支配される。
戦いを始める
もし、いつの日か
私はホルスやリョウコさんに刃を向ける日がくるのだろうか…
わたしがキズナと出会ったのが一年生の四月。
遅く咲いた桜がまだ咲き乱れる季節。
地味な女。
それが第一印象。
そのキズナを連れてきたのが、和尚。
のっぽで、目が細くて、どちらかと言うと和尚よりも大仏と言った方が正解かもしれない。
気さくなタイプで、社交的ではあったが、どこか腹に含んでいる物がある気がするので油断はならない。
そう警戒していた。
だけど、この二人を従えていれば引き立て役くらいには使えるだろう。
それが、私たち三人組の始まりだった。
その人を最初に見かけたのは、四月も半ばの部活勧誘会。
黴臭い文化部棟の一室。
冷やかしのつもりで入った美術部の展示物を、何とはなしに眺めていた。
何枚かのデッサン、風景画、それにありったけの教材の石膏像に服を着せたり帽子・マフラー・レイを飾ったオブジェ。
ガキ臭い。
嫌気がさして、その場を立ち去ろうとした時、見学に来た私たちとは別の新入生に石膏像の人物に関して熱心に説明する部員がいた。
ネクタイの色からすると二年生。
文化系にありがちな線の細さはあるが、はっきりとした語り口調や目の力強さからは、頼りなささやオタクっぽい気持ち悪さは感じさせなかった。
…悪くない。
そう思った私は、早速翌週から和尚とキズナを従えて美術部の門を叩いた。
それから一年と少し。
私たちが二年生に上がってすぐ。
実は入部してすぐに、勧誘会で見かけた上級生はもうどうでもよくなっていた。
悪くはないけど良くもない。
その程度。
だけど
その日はむしゃくしゃしていた。腹が立っていた
つき合って半年程になる三年生の彼氏に、浮気がばれて殴られた。
殴られるのなんて慣れていたけれど、力任せなその殴り方がどうしても気に食わなかった。
だから、誰かの幸せを奪って腹いせをしよう。
止まない耳鳴りと頬の痛みに耐えながら、そう思った。
キズナが例の上級生と悪くない仲、と言うのは気が付いていた。
そう、誰でも良かった。
たまたま側にいた「羊」がキズナだっただけ。
交通事故なんて、そんなものでしょう?
あはは
いくつかの勝利と、いくつかの敗北を繰り返し、この島のルールで決められた戦いの日は半分を過ぎた。
夜に眠り、戦いの時間になれば体の傷はすべて塞がる。
これは呪いだ。
みんなは覚めない「夢」だと言うが。
さめないならばこれは現実。
実際に私たちは蝕まれている。
魂を削り、戦い、失った魂は他人から奪って補い。
決して癒されぬ渇きを抱いてひたすらに戦い続ける
たった10日
それだけで、私たちはこの異常な現実をなんとも思わず受け入れているじゃないか
さながら、それが当たり前であったかのように
焦げるような想いを抱き、私は煩悶とした日々を過ごした。
それは火箸の如く狂暴に、私の胎内を掻き回す。
小さく掻き、乱暴に貫く。
その度に私の芯は、苦く痺れる毒を噴き出した。
もし私の肉体に、荒々しい牡の器官が具わっていたならば、今度こそ私は淫らで、破壊的で、ただひたすらにひとりよがりな獣欲を満たしただろう。
尖った欲望で刺し貫き
とめどなく滲み出る毒を注ぎ
血生臭くすえた匂いのする空気に身を震わせ
歓喜の詩を高らかに吠えたける
キズナ
滴る甘い蜜
夢か現わからない世界で
私は手も足も腐れ落ち
目玉も潰され
芋虫の様に這い蹲り
キズナの垂らす蜜を舌で舐め取りながら幾千、幾万の果てまでも愚鈍な行進を続けるだろう
だから私は
あの男に、「キズナの親友」のふりをして
嘘を付いた
「いやらしい目で見ないで欲しいと言っているから」
…違う。
いやらしいのは私だ
親友なんかじゃない、ただの獣だ
キズナのを愛欲の対象としてでしか見ていない
例えいつかは淘汰されてしまうとしても
出会った頃のあのまっすぐな
透き通った水の様な気持ち
友情に限りなく近い恋慕
流行熱の様にいつか冷めてしまうとしても
それは決して
今の様に
汚物の様に濁って
腐臭を放つ物ではなかったはずだ
いつから狂ってしまったのだろう
いつから違えてしまったのだろう
その夜、私は泣いた
獣の様に
女の様に
赤子の様に
ただひたすらに嗚咽をあげた
長い休みが明けたら
キズナに謝ろう
それまで私は罪の意識に潰され
心がねじ切れる様な痛みを受け入れよう
それは罪と罰
許されないとしても
贖いの為に
頭を垂れ
裁きを受けよう
×××××ッ!
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアああアアアッツ!
出会い頭に一閃
踏み込みが甘く、両の目玉を軽く引き切っただけ
狂った様な叫び
戦きの声
許しを請う祈り
いずれも私の耳には届かない
裏切りには制裁を
罪には罰を
頭を抑え付け、皮膚を裂く
二度 三度
百を超える頃
刃が欠け、血と脂にまみれ、制裁の勢いが衰える
刃を付け替える
再び百度
腕に
太股に
背中に
次々と赤い花を咲かせる
あはは
きれいだ
お前の心はあんなにも醜く
「親友」と言うモノですらいとも簡単に陥れるのに
お前の血と肉はこんなにも美しい
狂い咲け
お前が人である証明を狂い咲かせろ
そして…■ねッ!
…わぁぁぁッ!
私は跳ね起きた
夜
星が瞬く
この島の夜空は怖い
私にとっての空は
高い塔に切り取られた狭い空
醜くずたずたになった断片
幽かな星の瞬き
それが全てだ
だから、満天に広がり
天と地すらも錯覚する様なこの星空を、この島に来て初めて見た時
私は孤独と恐怖で泣いた
その時、そっと側にやって来て
私の袖をつかみ
ずっと側にいてくれたのがホルスだ
戦いの時、挫けそうになる心を裂帛の気合いでつなぎ止めてくれるのはリョウコさん
二人とも私にはかけがえのない存在
たしか
私にはそんな人達がかつていてくれた気がする
でもそれは遠い遠い記憶
私が生きたあの世界は
進んだ科学の力と
衰えた人類種の余命を秤にかけ
どんな場合でも生命を終える事は許されない
死刑も自殺も安楽死も禁じられている
頭が半分に割れても
腹から下を失っても
考え得る限りの全ての延命措置を以て、生きながらえさせられる
最悪、社会福祉と言う名の投薬実験にだって使えるからだ
不治の病と判断されれば
体が病魔に冒し尽くされる前に
永い永い眠りにつかされる
大量に人を殺し
どんな年月をかけても罪が購えないとなれば
それでもその犯罪者の命が持ちうる可能性は貴重なものなので
やはり永い眠りの世界に突き落とされる
睡眠刑 120年
それが私の犯した罪に対する罰
同じ様な刑に服した人間は世界でも数百人いるらしい
ただ眠るだけなのだからそれは罰ではないと
宗教家を名乗る狂人が議会で反対した
世界各地でも人道者を名乗る輩が騒ぎ立てた
ここではないどこかで
自分のものではない命の事を
さながら映画の結末を議論するシネマフリークの様に
だがしかし
幾百、幾千の月日を越え
目覚めたそこは
今ではない、いつか
ここではない、どこか
身よりの無い世界に放り出される
とても残酷な刑
もしくは世界が戦争で滅びれば
覚醒処置に失敗すれば
結果として私は目覚めない
そして死を迎える
はたしてここは夢の中なのだろうか
それとも120年の刑が終わった後の世界なのだろうか
突然不安になり
辺りを見回す
やはりリョウコさんは安らかに寝息を立てている
ホルスは寝床にいない
心臓が脈打ち、肌がざわめく
大切なものを失う事への恐怖に、親を見失った幼子の様に辺りをきょろきょろと見回した
遠くの岩の上にホルスがいた
少し深く険しい顔をして空を見上げている
だが、私は己の気持ちを抑える事が出来ずに駈け出した
今日が10日目の夜
終わらない事への恐怖もあるが
終わってしまう事への恐怖もある
この孤独な震えを癒そうと
私は
駆け出し
驚く顔のホルスに飛びついた
「私」が他の子と違う事に気が付いたのは、小学校五年生の林間学校だった。
その年になれば、早い子であれば女としての体の成長が始まっている子もいる。
それまではそんなに意識はしていなかったけれど、クラスの中でもとびきりの美少女で、白い肌がまるで人形のように愛くるしい彼女。
そのしなやかな曲線を帯び始めた体を、入浴の際に目にしたその瞬間。
「私」の中で、その気持ちが産まれた。
透き通る様な肌、細い指先、いつも誰かに縋る様に見上げるその瞳。
いつのまにか、幼いながらも私の心は暗く不純な劣情で満たされていた。
彼女を独占…いや、獣の様に蹂躙し、征服したいとさえ思っていたかも知れない。
「ルール」からは外れている事は知っていた。
「親友」と言うラベルを貼った級友に打ち明けたこともあるが、それが原因で私は「いじめ」にあった。
それでも「彼女」は変わらず私に優しく接してくれた。
級友達にトイレの個室に閉じ込められ、ホースで水をかけられ、全身を雑巾やモップで擦られた。
私は汚いのだそうだ。
きれいな「彼女」に近付く事は許されないのだそうだ。
誰もいなくなったあと、トイレの片隅で汚物の様に醜くなった私の元へ彼女が駆け寄ってきて、「誰にやられたの」「かわいそう、かわいそう」と慌てながら、花の刺繍が入ったハンカチで私を拭ってくれた。
そうか、「彼女」も私の事を
そう思った瞬間、頭の中で光が弾けた。
記憶はそこまでしかない。
そして私は、人生初にして最大級に淫らな罪を犯した。
我に戻ったのは、教師達に引きはがされ、冷たいタイルの床に頭をしこたま打ち付けられてからだ。
衣服をはだけ、手首には私が握りしめた痣、体のいたる所は私が歯を獣の様にたてた痕を残し、それでも彼女はいつもと同じ目で私を見ていた。
「かわいそう」
…ああ、あの目は違うのだ。
あれは、誰かを籠絡させ、地に墜とす魔女の淫らな目なのだ。
誰かの為ではなく、己の忠実な僕を取り込む為でしかない。
さしずめ私は、気まぐれで歪んだ愛情を押しつける為の醜いペットの役であったのだろう。
それから数年。
私はこんな想いをする事はないと思っていたのに。
新しく出会った「彼女」が、私の中の獣を呼び覚ました。
小さな体。
華奢な手足、薄い胸。
血管の浮く白い肌。
蠱惑的な瞳。
そして、獣である私にしかわからない、雌の色香。
それらは私の中に眠っていた獣欲を呼び覚まし、少しずつ少しずつ、甘い毒で狂わせていった。
彼女に想い人がいる事を知り、嫉妬の炎で心を焼く夜もあった。
だけど、身近な場所に彼女の恋敵がいたのだ。
そうだ。
このまま彼女を他の男に奪われるくらいなら、どんな汚い手を使ってでも、彼女の恋敵とあの男を結ばせればいいのだ。
この年頃の男女なんて簡単だ。
盛った獣欲をいとも簡単に純愛だと勘違いする。
いくらでも焚きつければいい。
そして私は彼女の側にいる良き相談役、傷をなめる忠犬、外敵から守る守護者であろう。
なんだ、簡単な事じゃないか。
キズナ…、誰にも渡さない…
この頃、戦闘の「兆し」と共に記憶を無くす。
以前敗北した相手に、再戦の際に勝利を収めた時。
今、連戦している相手はその二戦とも。
おなかの奥が熱くなったと思った次の瞬間にはもう、あいては血みどろで地面に倒れ伏していた。
あの時と同じだ。
私が全てを捨ててしまったあの日と。
ホルスに
とつぜん
だきしめられ
ねどこにおしたおされた
…頭は真っ白だった。
心臓が早鐘の様に高鳴り、喉がからからに渇いて言葉も出なかった
二度、息を呑み
かすれた声でホルスの名を呼んだ
返答はない
ただ、首筋に強く唇を押し当てられているだけ
触れられた点がマグマの様に熱い
もう一度名を呼ぶ
やはり返答はない
私は覚悟を決め、そっと四肢の力を抜いた
その瞬間
私の体の上にのしかかったホルスは、すやすやと寝息を立て始めた…
私は二度、瞬きをし
三度息を呑み
大きく溜息をついて
一人でクスクスと笑い
ホルスの頭をギュッと抱きしめた
夜明けはもう近い。